|業績集研究内容Home


1959年1月6日
島根県出雲市生まれ
1965年3月
出雲市立大津幼稚園卒園
1971年3月
出雲市立大津小学校卒業
 山や川、農閑期の田んぼなどを駆け回って遊んでいました。
1974年3月
出雲市立第一中学校卒業
 バスケットボール部に所属。2年生の時には全国大会に行きました(ただし補欠)。
1977年3月
島根県立出雲高等学校卒業
 バスケットボール部に所属。日曜日には友達とよく麻雀をやっていました。
1981年3月
京都大学薬学部製薬化学科卒業
  硬式テニス同好会と薬学の勉強サークルに所属していました。1回生の頃はほとんど大学に行かず、本を読んだり、ありとあらゆる遊びをやっていたのですが、2回生になって突如、生命科学に目覚めて勉強するようになりました。
 
1983年3月  京都大学大学院薬学研究科(薬学専攻)修士課程修了(指導教官:冨田謙吉、斉藤光実)
 「活性汚泥菌 Pseudomonas lemoignei の産生する菌体外ポリ betaヒドロキシ酪酸分解酵素に関する酵素学的研究」
 バクテリアの培養液から、今では結構はやりの天然プラスチック分解酵素を精製してKineticsを研究していました。 この当時、生化学的な基礎知識や実験技術を身につけました。
 研究室の野球チームのピッチャーをやっていました。当時の最高球速 は120キロぐらいだったでしょうか。草野球の中ではかなりの速球派でした。 ただし、いわゆるノーコンで、キャッチャーをやっていただいた市川 厚先生や八浪公夫先輩にはホームベースとバックネットの間を何度も往復していただくハメになりました。
1987年3月  京都大学大学院医学研究科(生理系専攻)博士課程修了(指導教官:中西重忠、大久保博晶)
 「生理活性ペプチドの前駆体および受容体の構造および機能に関する解析」
 1年次から2年次にかけて行った心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)のcDNAクローニングの論文(初めてのFirst Authorの論文)が Natureに載り、超ラッキーでした。その後、cDNAライブラリーからin vitro合成したmRNA mixtureをアフリカツメガエル卵母細胞にマイクロインジェクションして電気生理学的にアッセイすることにより、未知の受容体のクローニング法の開発に従事しました。この当時、分子生物学の基礎知識や実験技術を身につけました。 
1987年4月〜 筑波大学生物科学系(遺伝子実験センター専任)講師
 「生理活性ペプチドおよびタンパク質前駆体のプロセシング・エンドプロ テアーゼに関する研究」(日本生化学会奨励賞受賞)
 タンパク質前駆体中に存在する塩基性アミノ酸対(Lys-Arg, Arg-Argなど)を認識して切断するプロテアーゼファミリーに関して研究しました。特に、そのファミリーの一員であるfurin(「フリン」ではなく「フューリン」と発音しま す)に関する研究では、世界に先駆けてさまざまな研究成果を発表できたと思います。その当時、口の悪い人は私のことを「フリンの大御所」などと呼びました。
1994年1月〜 筑波大学生物科学系(遺伝子実験センター専任)助教授
 「細胞内メンブレン・トラフィックに関与する低分子量GTPase ARFおよびコートタンパク質複合体に関する研究」
 助教授になった頃から、研究テーマをそれまでのプロテアーゼに関する研究から、現在も続いている細胞内メンブレン・トラフィックに関する研究にシフトしました。ARFやクラスリンのアダプター蛋白質に関する研究が中心です。細胞生物学的な実験手法はいろいろな先生のアドバイスを受けて身につけました。
2002年4月〜 金沢大学薬学部健康薬学講座 物質機能分子科学研究室教授
 ARFを活性化するグアニンヌクレオチド交換因子(ARF-GEF)やARFのエフェクターでクラスリン・アダプターとして機能するGGAについて研究していました。高エネ研の若槻先生のグループと組んで行ったGGAのドメインのX線結晶構造の論文が NatureNat. Struct. Biol. に載りました。
2003年5月〜 京都大学大学院薬学研究科 生体情報制御学分野教授  現在に至る
 2005年4月:金沢から京都へ家族がやってきて、単身赴任生活が終わりました。