ABC transporter

ATP Binding Cassette (ABC)トランスポーターの構造薬理学

 ATP Binding Cassette (ABC)トランスポーターとは、共通性の高いアミノ酸配列を示すATP加水分解酵素活性を担う領域を持つ膜貫通型タンパク質のことです(1)。 それらはATPを自ら加水分解して得られるエネルギーを利用して化合物を能動輸送することができます。 そのなかでも、ABCB1(P-糖タンパク質あるいはMDR1とも呼ばれる)は、多種多様な化学構造の分子を細胞外へと輸送する多剤排出トランスポーターであり、小腸、血液脳関門、肝臓、腎臓、生殖器などに多く発現して、体外から侵入する異物を排除しています。 まさに、生体防御の要なのです。しかし、「薬」も生体にとっては異物であり、同様に排出してしまうことから薬物の吸収を低下させる原因ともなっています。ABCB1は「諸刃の剣」なのです。

 特に厄介なのは、癌の獲得多剤耐性を引き起こすことです。初期癌では抗癌剤を用いる化学療法によってほとんどの癌細胞を死滅させることができます。 しかし、5年から10年を経て生き残ったごく少量の癌細胞が再発すると、今度は、以前治療に用いた抗癌剤だけでなく、分子構造が全く異なる抗癌剤であっても、ほとんど効かなくなってしまうのです。 これは、再発癌がABCB1を高発現することで多剤耐性を獲得したことが原因であり、この問題は、癌の薬物治療の本質的な障害となっています(2)。 生体防御と癌治療を両立させるためには、単純にABCB1の阻害剤を作るという創薬戦略では対処できません。解決には新たな発想が必要です。

 そこで我々は、ABCB1の分子構造を各原子が区別できる精度で解明し、その分子構造の動きと作用の仕組みを化学の言葉で明らかにすることで、この問題の解決を考えようと研究に取り組んでいます。 かつては、膜タンパク質は精製も結晶化も困難な対象の代表でした。しかし、我々は、結晶化に適したABCB1分子の探索、新たに発見したABCB1の大量調製法の構築、そのABCB1結晶に適したX線結晶構造解析法を開発し、世界最高分解能2.4 ÅでX線結晶構造を決定しました(3)。 現在までに、マウス(4)、線虫(5)、そして、我々が発見した好熱性真核生物Cyanidioschyzon merolae のABCB1構造が判明しています。[図1]また、ヒトABCB1については、最近になり電子顕微鏡による分子構造3.8 Åが決定されました(6)。

Cyanidioschyzon merolae のABCB1の最大の特徴は、アミノ酸配列、輸送活性の特徴、そして基質特異性がヒトABCB1とよく似ていることです(3)。 しかも、不安定なヒトABCB1とは異なり、熱安定性がかなり高いために、物理化学的な実験に適していることです。 当初我々は、ヒトABCB1の立体構造解明を目指して、その大量精製と結晶化に取り組みました。しかし、7年もの努力の甲斐もなくX線解析には向かない微小な針状結晶しか得られませんでした(7)。 ところが、結晶が得られなかった原因を生化学的に調べたところ、精製できたヒトABCB1は安定性がとても低いことがわかりました。 このことから、良質の結晶ができなかった原因は、結晶化の途中で立体構造が崩れてしまうからではないかと推測されました。 そこで、我々は、ヒトABCB1と構造および機能が良く似ていると予想され、しかも結晶化に向いた安定性が担保されるホモログを探すことにしたのです。 いろいろな生物種を巡り、最終的に温泉に棲む好熱性真核生物シゾンCyanidioschyzon merolaeにたどり着いたのです。 その全てのABCトランスポーター遺伝子をクローニングして結晶化に対する適性を調べた結果、CmABCB1と命名した遺伝子がヒトABCB1とよく似ていることを発見したことで、結晶構造解析が一気に進んだわけです。

 いま、目指しているのは、輸送反応に伴う立体構造変化の解明です。トランスポーターの特徴は、生体膜の細胞質側と細胞外側、それぞれに開いた立体配座conformationの状態構造、すなわち、内向型構造と外向型構造の間を往復していると考えられることです。 ABCB1の場合は、内向型構造で基質を捉え、外向型構造で基質を細胞外へ排出すると考えられます。[図2]しかし、その両方の状態を同一分子で捉えた例は、まだありません。我々は、まずそれを目指しています。 次に、内向型と外向型の中間状態を捉えることが、輸送メカニズムの解明には必要です。それには、NMRやESRあるいは蛍光分光学を応用することが適していると考えています。 しかし、巨大な膜タンパク質でそれらの実験を実施することはほとんどできておりません。その最大の原因は、膜タンパク質の大量調製が難しいため、実験ができないことにあります。 通常の分子・細胞生物学や生化学的な実験では、マイクログラム程度の試料を扱う実験がほとんどだと思います。 しかし生物物理学的に分子メカニズムを計測する場合は最低でもミリグラムレベルの試料が必要となります。 我々は、100ミリグラム以上のCmABCB1を簡単に調製する技を確立しており、前人未到の分子メカニズム研究を実現できる好位置にいると言えるでしょう。

(1) Boumendjel, A., Boutonnat, J., Robert, J., (Eds.) ABC Transporters and Mutidrug Resistance, Wiley. (2009)

(2) Fletcher, J. I., Haber, M., Henderson, M. J., Norris, M. D. (2010) Nat Rev Cancer, 10, 147-156.

(3) Kodan, A., Yamaguchi, T., Nakatsu, T., Sakiyama, K., Hipolito, C. J., Fujioka, A., Hirokane, R., Ikeguchi, K., Watanabe, B., Hiratake, J., Kimura, Y., Suga, H., Ueda, K., Kato, H.(2014) Proc Natl Acad Sci U S A, 111, 4049-4054.

(4) Aller, S. G., Yu, J., Ward, A., Weng, Y., Chittaboina, S., Zhuo, R., Harrell, P. M., Trinh, Y. T., Zhang, Q., Urbatsch, I. L., Chang, G. (2009) Science, 323, 1718-1722.

(5) Jin, M. S., Oldham, M. L., Zhang, Q., Chen, J.(2012) Nature, 490, 566-569.

(6) Johnson, Z.L., Chen, J. (2018) Science, 359, 915 – 919.

(7) Kodan, A., Shibata, H., Matsumoto, T., Terakado, K., Sakiyama, K., Matsuo, M., Ueda, K., Kato, H. (2009) Protein Expr Purif, 66, 7-14.