メッセージ ~その(6)~

名誉教授からのメッセージ

藤多 哲朗 博士
京都大学大学院薬学研究科名誉教授

YouTubeでは「英語字幕版」も公開しています。

 

藤多名誉教授の研究については、次のニュース記事もご覧ください。

1. Bloomberg記事
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LFZKTH1A1I4J01.html

2. Chemstation記事
http://www.chem-station.com/blog/2011/12/post-328.html

3. 産学官連携ジャーナルのインタビュー記事
https://sangakukan.jp/journal/journal_contents/2010/06/articles/1006-04-4/1006-04-4_article.html

 

冬虫夏草をめぐって

井上博之先生の停年御退官の後を受けて、私が薬用植物化学講座を担当することになったのは、昭和60年 (1985 年) 7月1 日からでした。講義は故上田伸一助教授が既にしてくれていました。そこで、講義はそれでよいとして、悩ましい問題は教室運営と研究テーマはどうするかでした。着任当時、職員は上田伸一助教授、井上謙一郎助手、上里新一助手が井上先生以来のテーマのもとで、院生達と活発に研究していました。配属されていた一人の4回生も上田君の指導を受けそれを希望していました。私は借りてきた猫状態で直ぐに手足を動かすことが出来ず、京都と前任地徳島の間を何度も往復したことを思い出します。
当時は、鳴門と淡路島間の大鳴門橋が完成したところでした。鳴門海峡の新しい橋をマイカーに荷物を積んで渡りながら、これからの研究テーマをどうしようかと、考えました。「よし、冬虫夏草をやってみよう」と思いました。しかし私は冬虫夏草について深い造詣を持っていませんでした。ただ、現徳島大学薬学部長・生薬学教授の高石喜久君が生物薬品化学講座の助手時代、木材腐朽菌トリコデルマ ポリスポラムの代謝産物の研究をしていました。その頃、この同名菌が免疫抑制剤・シクロスポリンを生産していること、また、昆虫に寄生する真菌類に私たちが取り出した化合物と類似の物質の存在すること、などを知っていました。しかし、後日シクロスポリン生産菌名は菌分類学上の見地から他の属名に変更されました。免疫学に関して、全くの素人と言える天然物化学者が「冬虫夏草の免疫抑制成分の研究」に目的を限定しテーマを設定したことは、ただ偶然と言える直感と勘だけです。屁理屈を言えば、コオモリガ科の幼虫に菌フユムシナツクサタケが侵入後、一年間共生し子実体を発生させると言う記述を読んで、菌が寄生している間、幼虫の免疫様作用を抑制しているのではないかと、想像しました。このような見通しのない研究を論文に纏めなければならない院生に強制する勇気は私にはありませんでした。他にも私には、菌の培養も、免疫抑制活性を測定する手段も持っていませんでした。
丁度その頃、井上先生、武田美雄博士(当時、徳大・薬・助教授)の指導でクチナシの種子イリドイドの食用色素研究をしていた台糖株式会社研究所の遠山良介博士がやってきて、「先生これから何をなさいますか」と尋ねました。「うーん冬虫夏草をやってみたいんだが・・・」。彼は私よりも教室歴も古く、事情もよく知っていて言ってくれました。「台糖はスエヒロタケの抗ガン多糖・シゾフィラン生産の経験から菌の培養は得意です。全面的に協力しましょう」。今から思えば、ドン・キホーテは私で、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサは遠山良介博士、その助手佐々木重夫博士を従え、むやみやたらではなく、考えられるポイントを探りながらおぼろげに見える日本の免疫に関心を持っている企業研究所を探した。その結果、遠山博士の釣り仲間を通して我々が探り当てたのは、吉富製薬の故荻原孝介(武美雄)先輩が立ち上げたところの免疫化学部門でした。そこには新進気鋭の東北大・薬出身の千葉健治博士が頑張っており、われわれのドン・キホーテ的研究テーマに興味と誠意を持って対応して頂いた。
台湾のツクツクボウシに寄生する菌の培養液から、シクロスポリンの3倍近い免疫抑制活性を示すISP-Iを単離することができた。その構造は、すでに20年ほど前にメルクやイタリアの研究者達により抗カビ活性物質として報告されていた。しかし、免疫抑制についての記述はなく、さらにISP-Iはシクロスポリン、タクロリムスと異なる作用機序で作用していることが分かってきた。一方、川嵜敏祐、小堤保則両教授はそれがスフィンゴシン、セラミドの初期段階酵素SPT作用を阻害することを証明された。難点は、それがあらゆる溶媒に極めて難溶であることであった。薬としては、成立し難いと考え、吉富製薬は諦めそうな気配を示していた。ドン・キホーテは「すべての官能基を変化させろ、カルボキシル基も還元してしまえ」と言った。その還元体はヒドロキシメチル-スフィンゴシン骨格となり、FTY720 (フィンゴリモド塩酸塩)へと展開され自己免疫疾患治療薬として期待されている。冬中夏草は地球上の四季、生物、陰陽の意を含んでいるが、セレンディピティーも持っているように感じられる。

京都大学 薬学部 創設70周年記念誌より